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2019/01/26 21:50

こんばんは ロージーです。


皆さま、ご無沙汰しています。

そして2019年もどうぞよろしくお願いいたします! (今更っっ笑)


さてさて、先日(1月24日)は隣町のあさぎり町にある"マインド松井"さんへお邪魔してきました。


突然すぎて、何しに??と 思われますよね。笑


実は話せば長くなります。

文字にするとさらに長くなるから、今すぐやらないといけないことがあったら、済ませてから読んでくださいね!


では...




ことの始まりは 同級生との何気ない会話からでした。


お母さんが お仕事されている会社では あさぎり町で種から大切に育てた綿花の糸を紡ぎ生地を裁ち 製品へと全てが一貫してそちらの会社でされていて、質はいいけど 作られた製品は倉庫に眠っている。という話を聞きました。



そこで早速!

いつもの素晴らしき行動力で!笑笑

アポを取り社会科見学!

☝︎特別に一部だけお見せしましょう♩



こちらは旧小学校の跡地を利用されていて、木の温もりを感じることができる素敵な場所です。


☝︎廊下のソファには黒にんにく‼︎スタミナつけて働くように!という事でしょうか...笑



本題に戻ります。



一般的に流通している 洋綿とは違い 和綿は種から芽を出しにくく その年によって生産量にも違いがでるほどデリケートなもの。

やはり100%の和綿製品となると安価ではないため 中々、手に取ってもらえないもののようです。

私も話を聞くまでは、和綿と洋綿の違いなども知らずにいて。


綿=肌に優しい

くらいの本当に恥ずかしいくらい 乏しい知識でした。


和綿の歴史は古く

日本の在来種である「和棉」は、16世紀に中国や朝鮮からもたらされたタネが根付いたものだそうです。
それ以前にインドから入ってきたタネは日本の風土に合わなかったようで、根付くことはありませんでした。

江戸時代頃からワタの栽培が広まり、特に大阪の河内、和泉、摂津で盛んに栽培され、手紡ぎ手織りされていました。
しかし、明治中期以降、繊維産業の機械化によりワタ栽培の生産が追いつかなくなり、輸入に頼るようになりました。

国内生産するよりも輸入綿花の方が安価で
繊維が短い和綿は機械での紡績(綿糸の生産)にはあまり向かなかったからです。

和棉の栽培は減少し、昭和30年代以降徐々に衰退していき、自給率0%になってしまいました。


近年、和綿を復活させよう。と全国各地でその活動が活発になってきています。

そんな中、どこよりも早く和綿の再生に取り組んだのが マインド松井さん。

最近では各地から和綿の種を分けて欲しい...と依頼があり、全国でまた昔のように上質な和綿を使った"本物"が広まるといいな。という想いから種を各地へお渡しされたそうです。


☝︎飽きてません。しっかり聞いてますよー!!カメラマンが...タイミングがね!笑




とまぁ、このほかにもお伝えしたい話が山ほどありますが!
長ーーーーーーくなり過ぎるので。
この辺で一旦切ります‼︎‼︎⇦



主体としている仕事。以外で球磨盆地を盛り上げていく活動を勝手にKUMA部!と呼んでいます。

今後の部活の報告でボチボーチあげていきますね♩



部員も絶賛大募集中‼︎
但し 要面接あり!




それでは また。